織田信長が明智光秀によって、本能寺で自害させられたあと、明智光秀をたおし、柴田勝家を倒し、実質、織田信長の後継者にのしあがったのが、豊臣秀吉(羽柴秀吉)であった。
この間、織田信長の同盟者であった、徳川家康は、明智光秀討伐を豊臣秀吉(羽柴秀吉)にさきをこされ、甲斐・信濃の2か国をふやした5か国の支配者になったが、豊臣秀吉(羽柴秀吉)との勢いの差は、歴然としていた。明治時代の文豪は、家康が1歩すすむ間に秀吉は、10歩すすんだと評した。
この日の出の勢いの豊臣秀吉(羽柴秀吉)に徳川家康が一矢むくいたのが、小牧長久手の戦いであった。
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